不変

2003年3月15日
グローバリゼーションと国家の競争力(ていうのかな?英語ではnational Competitiveness)を研究してるのですが、最近限界を感じてきた.

政治経済の分野はあくまで現在ある問題や状況を多面的に見れる角度を増やすだけであり、決して経済学のようにある問題に対して解決法を突き詰めるものではない。

そこに限界を感じる。

グローバリゼーションの国における経済的な影響を考察するにあったても、政治経済学は国際機関、多国籍企業、貿易といったいろんな視点から見て、経済学のように数式で明確な答えをだすよりも、目の前で起こっている現象の分析をもとに問題をより広い視野で見ようとする.

それが歯がゆい.問題の解決に迫るのではなくて問題をもっと深く描くにとどまっている。何らかの形で結果を出せないのは苦しいものだ.

以前、先生から‘君の論文は経済学的に見すぎる’と注意されたっけ。でも、いろんな角度から見ることなんて、新聞を良く読んでる高校生でもできるんじゃなかろうか。大学院として何か特別な研究というよりも、多くの情報を見て、それを論文に吐き出している感じだ.

それじゃあ、だめだ。

情報は3年も経てば使い物にならないのに。どんなに多角的に物事をみたところで、それが通用するのはそのときだけ。しばらく年月がたてばそんな見方は通用しない。つまりずっと不変ではいられない。ずっと不変な物なんてないとおもうけど、10年くらいは不変なものを自分の研究でうちだしたい。理系科目及び経済学ではそれができるような気がする.数字が不変だけにそれを使って表現されるのも不変だからだろう。

こう思うのはスランプというやつだろうか。それとも。。。

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