暇な自分に罪悪感
2003年12月21日日本に帰国してからはや2週間がたつ。
日本でやるべき用事が済んだ中で、急に暇になった自分を見つける。
ここ最近やることなしにボーッとしている自分が嫌になる。
というのも、26歳になって、自分と全くの同世代の人間が、大学を卒業して既に複数年の社会経験を積んでいるという現実に焦る自分がいる。
修士号取得は7月になるものの、それでも同世代の大卒なら4年、院卒なら2年の社会経験の差。
平日にのほほんと過ごしてる時は必ずこの事が頭をよぎる。
就職雑誌を飾っている‘成長している自分がわかる’という社会に貢献しているであろう同世代が吐くフレーズを見て、日々悶々としている自分を発見する。
博士号に進む学生は孤独な長い作業の中で、社会に貢献できない自分に悩み、焦るという。博士号に取り組んでいる方と自分を一緒にするのはおこがましいが、自分もそのようなシンドロームに陥っているような気がする。
経験や人間の成長というものが、時間に比例するならば、今の自分は26歳として恐ろしく出遅れているのかもしれない。
日本でやるべき用事が済んだ中で、急に暇になった自分を見つける。
ここ最近やることなしにボーッとしている自分が嫌になる。
というのも、26歳になって、自分と全くの同世代の人間が、大学を卒業して既に複数年の社会経験を積んでいるという現実に焦る自分がいる。
修士号取得は7月になるものの、それでも同世代の大卒なら4年、院卒なら2年の社会経験の差。
平日にのほほんと過ごしてる時は必ずこの事が頭をよぎる。
就職雑誌を飾っている‘成長している自分がわかる’という社会に貢献しているであろう同世代が吐くフレーズを見て、日々悶々としている自分を発見する。
博士号に進む学生は孤独な長い作業の中で、社会に貢献できない自分に悩み、焦るという。博士号に取り組んでいる方と自分を一緒にするのはおこがましいが、自分もそのようなシンドロームに陥っているような気がする。
経験や人間の成長というものが、時間に比例するならば、今の自分は26歳として恐ろしく出遅れているのかもしれない。
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