司馬文学

2004年10月1日 読書
留学の口火は‘惨めな気分’から切って落とされるのではないかと思う。

現実は想像以上に正直だ。

その社会で生き抜くための最低限の術である‘言葉’が未熟では誰も相手にしないのである。

女性には‘体’があるが、悲しいかな男性にはなーんにもない。

そして現実はあなたに‘孤独’をプレゼントしてくれる。(うふ)

私も留学の当初、それをプレゼントされた一人。

英国大学受験のための授業をカレッジで受けては家に帰る繰り返し。

人間と喋るのが2日ぶりなんてこともあった。

そんなおかしな期間が半年以上続いた。

その時に暇さえあれば読んでいたのが司馬遼太郎。

彼が書く、形はいびつながらも輝きを持っている日本人像に初めて触れた時、私は彼の作品の虜になってしまった。

そしてそれを読んでいるときは不思議と孤独感も癒えて、人恋しい気持ちも消えていた。

一通り彼のシリーズを読み終わった時、‘研ぐ’という言葉が頭から離れなかった。

‘一心に自分を研げたら’っていう願いのような憧れが単純ながらもあったんだと思う。

それ以来、何かにつけて生活に‘研ぐ’っていう概念を好んで持つようになった。 それに伴ってそれまで本当に無味乾燥なイギリスでの生活が随分と味わい深いものになって、いつのまにかネィティブの友達も増えはじめた。

そんな‘研ぐ’なんていうある種のサディスィティックな思いも、言葉の上達などで環境に適応した自分への余裕なのか、3年くらい経つ頃には随分と薄れたものになっていた。

今では7年の留学を終えてもいるが、司馬遼太郎はいつまでも私にとって思い入れの高い作家なのである。

この間、情熱大陸という番組でドイツでバレェダンサーとして活躍している日本人(男)を取り上げているのを見た。 その時に彼が‘心の支え’としてレポーターに見せたのが司馬遼太郎シリーズ。それを見て私はなんとも言えない変な気持ちになった。

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