英語だけの生活が行える学校が日本国内で流行っているらしい。

そんなことをTVでやっていた。

その場所に県外から子供を通わせる親を見てすごく異様に感じた。

‘英語を喋れるようになる’っていう理想だけが先行して日本語の習熟度が無視されてしまっているのではなかろうか。

きっと10代の大事な時期をこういう環境で過ごしてしまうと、英語はネィティブに近いもののネィティブでもなく、日本語は標準以下というなんとも中途半端な言語能力になってしまうような気がする。

特にネィティブでもない子供同士が英語で毎日喋ってると‘自分達だけの言葉’ができてしまうはず。

英語がますます大事になっていくのはわかるけど、これは少し行き過ぎだ。 自国の言葉を完璧にして思考の密度を高めてから英語学習に取り組んでも遅くはないのに。

もちろん、幼少から始めないとネィティブのような発音が身につかないっていうのはわかるけど、アクセントなんてこだわる方がおかしい。 

私はオーストラリアンアクセント、私はブリティッシュアクセント、私はアメリカンアクセントなーんていう、実に取るに足らない自慢を聞くたびに、

‘あぁ、良かったですねぇ。。。(泣き)’

ととても冷めた気分になる。 そして、アクセントを必要以上に誇張する人って中身が無い場合が多いんだなこれが。。。

バリバリのジャパニーズアクセントでも思考の密度を伝えられれば、どこにいっても通用するし歓迎されると思うのですけどねぇ。

うーむ、英語というツールが妙にブランド化してそれが教育というビジネスとして大衆に入り込む。 奇妙というか異様というか、その環境で育つ子供が可哀相に思えてなりません。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索