連帯感
2006年11月19日
熊本に帰ってとても癒されたのが愛犬(レトリバー)に会えた事。
私はこのレトリバーと過ごしている時間が楽しくて仕方がない。
レトリバーって名前はかっこいいのだけど、実に繊細な神経の持ち主で、独りにされるのを何よりも嫌う。何かの雑誌で長期間、一人ぼっちにされたレトリバーがストレスで立てなくなったというのを読んだことがある。
そんな情報もあってか、我が家では一家総出でこのリトリバーを甘やかしている。室内犬であることはすでに当然で、首輪も窮屈だからさせず、寝る時も寂しがるから誰かの寝床の下で寝せている始末だ。
さすがにこれだけ近いと、もう感覚はメスだけに妹か姉であり、向こうもそれを心得てるのか、外に放しても離れて帰ってこないということがまずない。(たまにダーッと走って消えてしまうが、気にせずにそこら辺を歩いてると、すぐに戻ってくる)
最近ではペットセラピーとかその癒し効果がいろいろと謳われているものの、正確にいうと癒しというより、お互いの絆を深めることによってできた家族の連帯感がなんもいえない快感なのだと思う。
正直、この快感にずっと浸っていたいものです。
私はこのレトリバーと過ごしている時間が楽しくて仕方がない。
レトリバーって名前はかっこいいのだけど、実に繊細な神経の持ち主で、独りにされるのを何よりも嫌う。何かの雑誌で長期間、一人ぼっちにされたレトリバーがストレスで立てなくなったというのを読んだことがある。
そんな情報もあってか、我が家では一家総出でこのリトリバーを甘やかしている。室内犬であることはすでに当然で、首輪も窮屈だからさせず、寝る時も寂しがるから誰かの寝床の下で寝せている始末だ。
さすがにこれだけ近いと、もう感覚はメスだけに妹か姉であり、向こうもそれを心得てるのか、外に放しても離れて帰ってこないということがまずない。(たまにダーッと走って消えてしまうが、気にせずにそこら辺を歩いてると、すぐに戻ってくる)
最近ではペットセラピーとかその癒し効果がいろいろと謳われているものの、正確にいうと癒しというより、お互いの絆を深めることによってできた家族の連帯感がなんもいえない快感なのだと思う。
正直、この快感にずっと浸っていたいものです。
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